待っててね〜初☆ブラバ

共演者のブログ読んでたら泣けた・・・通勤バスの中で泣いてた。仕事中も考えないようにしないと潤っとくる。明後日で終わってしまう舞台・・・(26追記)

2月20日(土)21(日)と昨日24(水)は、出勤前映画館で森田中也んとビックなスクリーン越しのデート

そして今日は出勤前、エバラCM見ながら今年4回目の献血。なぜだろizoさんときも通いつめた献血ルーム。共通性あるからね(笑)。成分だから1時間かかるのだから左手には人間失格の文庫本。

もう〜何べん読み返しただろう

太宰治は故郷岩手の隣の県青森の生まれ

三田佳子のずおぉ〜は今でも実家の母と電話してると普通に使ってる(笑)

献血ルームの隣に図書館があるのでポチっと新聞コピー。ちゃんと書類書いて手続きした。1ヶ月前の記事ですけど・・お暇な時ご一読を

見る者揺さぶる『毒気の大放出』

犬のマーキングのような荒々しさで、蜷川幸雄が観客の記憶に猥雑さを染み込ませる。清潔そうな顔でこぢんまりと鎮座する今の日本に、汚れても立って歩くことを促すのは蜷川の常なる姿勢だが、「血は立ったまま眠っている」では久々に毒気を大放出。見る者の目を、耳を揺さぶる。何のために?自由や平和の価値のデフレを一瞬でも止めるためだろう。

それをさせたのは、寺山修司が23歳で書いた処女戯曲のまがまがしさの奥に内包された無垢に他ならない。
寺山自身が「60年安保闘争との関係を省いて語ることは難しい」とする本作は、当時の社会情勢が色濃く反映されている。

主人公のふたりの青年、灰男(窪塚洋介)と良(森田剛)は、政治的な思想も具体的な戦略もないが、自分たちが行動を起こせば続く人がいて、真に自由で平和な社会が実現すると夢見る。現実には自衛隊から看板や機械の部品を盗み出すのが精一杯だが

精一杯に宿る無垢に

当時は革命の奇跡を託す希望、現代は自由や平和の意味を問い直す価値がある。

“そのシフトチェンジの要”である良を演じる森田が“抜群にいい”ナイーブさが硬質に結晶した17歳を見事に体現し、この作品最大の収穫だ。

また、ふたりの青年と、小さな悪事を重ねて生き延びる近所の人々との中間に存在する張役の遠藤ミチロウが圧倒的。

理想と現実、1960年と現在の断層を歌声で表現して存在感を示す。

良の姉で、自由の本質を直感的に見抜き、「(自分がいる場所の)広さにごまかされてはいけないんだわ」とつぶやく夏美(寺山しのぶ)は、あっけない最期を遂げる。それは、日本で享受される自由が、やがて価値を顧みられなくなることへの寺山の予言だろうか。

(徳永京子・演劇ジャーナリスト)

1ヶ月前の記事ですけど心に残ります

そしてもう一枚

1/27読売新聞塩崎淳一郎 評
血は立ったまま眠っている(Bunkamura/Quaras)

蜷川の舞台 若さ前面に

ここまで人間が本性むき出しでぶつかりあい、政治に向き合い、詩的なせりふを紡ぎ出し、性や差別の問題を露骨に語った時代があったのか。1960年に発表された、寺山修司の処女戯曲である。

60年安保で騒然とした世相が、この作品の背景にある。当時を知らなくとも、舞台が発する熱気に驚き、気圧されたのは新鮮な体験だった。クールな現代の若者が多い観客の心を熱で揺さぶったように思う

革命を夢見る灰男と彼を慕う良は自衛隊から物品を盗み出す日々を送る。良の姉と結ばれて守りに入った灰男の変節に苛立つ良は、世間の耳目を引く爆発事件を起こそと行動する。

この物語と並行して、床屋の周囲に集う在日朝鮮人、売春婦、同性愛者らが金もうけを企み、果物ね闇取引に手を出す物語も進んでいく。やがて集団的狂喜の中で死刑が行われる。

床屋の物語では、在日への差別用語も飛び出す。騒々しく、何ともわい雑。だが、今の社会が覆い隠している問題をあえて表現したことで、負のエネルギーが生まれている。

若さゆえの希望と絶望を併せ持つ森田と窪塚は、いつの時代も変わらないやるせなさを抱えながら、懸命に生きる。それは、格差社会の中で懸命にもがく今の若者も共鳴できる主題で、寺山作品の古びない要素でもある。演出の蜷川幸雄の心の若さが、この作品に生気を与えている。

とっておきの日経WOMANはまた